「助け導く神の霊」 03−06−08
ローマ8:26〜30
最初のペンテコステの日、それまで座っていた弟子たちは、
聖霊を受け、立ち、語りだす者となりました。彼らは、自分たちが
弱く、御心に沿いきれない頼りなさを抱えていることを知っている
人たちでした。しかし、聖霊に助けられ、とりなしていただくことで、
立って進む者へと変わっていきました。
<霊も弱い私たちを助けてくださいます>と御言葉は語ります。
私たちは、弱さを抱えています。救いの完成や神の国の栄光に
希望を置き続けられない弱さがあります。目の前のことに心を
奪われ、疑いと不安の虜(とりこ)になる弱さがあります。
しかしそれを助ける聖霊が与えられているのです。「助ける」と
いう言葉には、不安を抱える私たちと一緒にいて、その不安を
代わって、受け取ってくださるという意味が込められています。
「あなたの不安をこっちに渡しなさい」と迫り、弱さでなく救いに
目を向けさせてくださるのが、ペンテコステ以降続く聖霊の働き
です。御言葉は「助けてくださった」とか「助けてくださるかも
知れない」と言うのではありません。昔も、今も、これからも、
「神の霊が助けてくださいます」とはっきり語るのです。
<わたしたちはどう祈るかを知りません>と言われます。
人は、神さまのみ心にぴったり沿った祈りをすることができない
存在なのです。悲しい現実です。しかし、それでも祈るのを止め
めなくとも良いのです。神の前にふさわしくないと言って縮こまって
しまわなくても良いのです。聖霊がとりなしてくださるからです。
27節で「神は人の心を見抜く方(かた)」と言われます。ふさわしく
ない事もみんな見抜かれます。しかし、神はわたしたちの心では
なく「霊の思い」をお知りになるのです。弱さや、ふさわしくない
ところを一杯抱えている私たちのことを「この人の弱さを、もう
私が受け取ってしまいました。
だからこの人に弱さや頼りなさは、もうありません」と
神に執り成(とりな)してくださるのが霊の思いです。
聖霊に助けられ、執り成していただきながら進める私たちの
人生は、とても幸せな人生です。